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生きていてイイのか 〜罪悪感がある
2003年3月15日にフジテレビで「サイエンスミステリー」という特番を放映していた
DNAにまつわるドキュメンタリーのオムニバスだ
その中で、プロジェリアという病気についてふれている話があった
1番染色体の異常から起こる疾患で、10倍の速さで老化していく子供が取り上げられていた
ふつうの老化によって引き起こされる数々の疾患が10歳までに次々とあらわれ
動脈硬化による心筋梗塞でそのほとんどの患者は死んで行くという
治療法はなく、アスピリンでの動脈硬化の予防ができるくらいらしい
皮膚なども硬く張りがない、しわが寄って歳を重ねた老人のようだった
このドキュメントを観ながら、少しだけ気持ちが楽になったことがあった
これまでにも「障害」「罪悪感」などについて考えたりしたことはあったが、この番組のおかげで一通りの流れのようなものが見えた
障害は「先天的」と「後天的」というタイミングで分けられることがある
私には、この差から罪悪感が生れることがある
「保障」はこの差を埋めるものではなくて、人から発生した「制度」だ
この制度で患者は障害を抱えながら「治療」を続けることができる
「病気を抱えた患者が障害を持ちながら治療をする」
私はこのことから「生きていてイイのか」と感じてしまう
後天的でハイリスクなことをした自分の末路のひとつには罪悪感が待っていた
意図してはいないのだろう事に、あえて布石を置いてしまったのだ
罪悪感、なぜ持ってしまうのか
先天的なものは認められるがそうでないものは認められない
あるかないかの発端が火種になり、止まるには芯に残る熱が冷めるまで冷静な判断は得られない
その燻りも自分の身にうつれば、焼けてしまうのではないかと感じられるくらいの熱量を持って燃え尽くそうとする
「生きていてイイのか」
自分とは違うはずの病気をきっかけにこんなことも考えて
「病気を抱えた患者が障害を持ち治療をしながら生活をする」
そんな現実に、罪悪感も持ちながら、それでも生きている
「なぜ生きているのだろう」
事実、私には答えを出すことはできなかった
ただ、こんなことを考えていたのと同じく、私の一番身近な存在である彼がこの番組を観ていて私にこんなことを言った
「元気で良かった」
私にはわからない彼の私に対する理解度の深さ、彼自身の辛いところ、苦しみ
そして、今こうして一緒に暮らし、お互いの将来のことまで話すことが出きるようになった、幸せにも似た安堵感が伝わってきた
私のようなHIV に感染したエイズ患者は多かれ少なかれこんな罪悪感を持ち
日々の暮らしに、どこか自分を信じきれていない部分がある
そのことを自覚できる余裕を持つことが出きる場合は特に稀なのかもしれないが
このように、あえて残しておくことは
感染した本人のため、感染した者を持つ周囲の人のためにも
語られることと同じくらい重要なのではないかと感じる
現在、私に罪悪感はあるものの、生きていてイイという実感は残されたような気はしている
2003年3月16日
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