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「 For HIV 」は、2002年9月から2003年3月まで Planets の中のコンテンツとして連載しました
私のHIVへの思いをまとめたようなものです
ちょうど1年が経ったので、背景を無くした読み物に更新しました
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この内容が、すべての感染者の方に通じるものではありません
k1 という名を借りた私の成長記録なのかもしれません
| 9 月 | 10 月 | 11 月 | 12 月 | 1 月 | F i n a l |
9 月
私の今の状態は詩を書いていた10代後半の頃のようになにかに集中し、考え、得るときと同じようだ
あの頃は期間限定だったが、これからは無期限だ
生きているときもその後も
とかく、死がつきまとってしようがない
自分の中にも外の世界にも
振り払おうにもどうしようもなくある現実なんだからとは、そうそう思えないのも現実だ
いつか死んじゃうからね
そんなことわかっていても
それが誰にでも訪れるものだということがわかっていても
それがまだ自分の中で納得できていない
私には最近わかったことがある
意味も無くつらく感じるときがある
息苦しいような、行き場の無い、焦燥感に似た孤独・・・ 何故か
『生きたい』
それなのだ
生きたいから焦る、居場所が欲しい
なのに生きにくい現実
それに、生きるということはいつもひとりということ
今はそれが全部つらく感じている
HIVは今は特別なもので忌み嫌われているが
それとともに生きるものにはみな同じだ
絶対に裏切らない現実だ
私としては1日もはやくエイズやHIVが普通にこの世の中にあって欲しい
生きているだけで負担になっているのに社会的にまだまだなのでは
生き続ける間は傷つけられっぱなしで快復するひまが無い
生きていかなければいけないからつらいなんて言えない人なんていない
どうかこの感じている負担を減らして欲しい
私のような人間は他の人にとっては物珍しいだけ
生きることはつらいことや悲しいことでいっぱい
でも、愛に気づいた時、安らぎを感じ深い眠りにつくことができる
ただ、あまりにつらく悲しいときには感情でいっぱいになるので涙もでる
たまに声もでる
けど、その嵐が過ぎたあとには・・・
「黒雲の隙間から幾筋も光がのび
そのひとつが自分にもやってきてぬれた身体をあっという間に乾かす
ほのかな風も吹き
薄暗いようでも視野ははっきりとし
空気もどこかひんやりとして
でも温もりがあり
しずくで垂れた下草にぬれながら
草のにおい
土のにおい
風のにおい
どこか遠くで波の打ちつける音
葉のこすれあい、風が耳の中をいじる音
そんな高台に1本の木が生えている
軽く見上げる程度の高さで
私と寄り添い
そして、つねにひとりなのだが遠くで誰かがいるとわかっている
だから、私はそこで待っている
私の居場所だからそこにいる
ただ、余程つらくなったときは
あの崖の上で何かを誰かを待っている
広く広く人の住まぬ
あの私の居場所で」
「このままではない
これが過ぎれば何かが変わっている
そのままであるはずが無い
生きているんだから
良くも悪くも変わっているはずだ
それから考えても遅くない
今まで着ていた服が似合わなくなったのと似ているかな
どうか死なないでほしい
いつか死ぬときが来るから死ぬことはそれに任せて
生きているときは生きてほしい
かなしくてつらくて情けない、恥ずかしい憎らしい、ねたましい
それでも生きてほしい
なにくそと思ってがんばりつづけてほしい」
誰にも彼にもわかる世界は無い
これもそのひとつ
知らないだけではすまされない
ただの病気という枠にはまるまで
繰り返し伝えつづけられるだろう
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10 月
最近、生きるペースということを考えた
はっきりと実感できるのは
遅くなった、一息つくようになった、選ぶようになったということだ
今の自分にはしたくてもできないことがある
すぐやらなくてもすむことは後回しにしているし
矢継ぎ早には動きつづけられないので疲れを感じていなくても少しずつ休むようにしている
しようがないとかどうしようもないと諦めをつけることが多くなったし
他人のペースをあまり気にしなくなった
頭の中の環境がいつも小春日和のようなのでどこかのんびりと穏やかだ
けれども、そのペースが乱れると、憂鬱になったり面倒になったりイライラしたりと
これぞストレス、と自覚ができる状態になってしまう
以前は、ストレスといわれても何がストレスなのだろうと思っていた
この病気といっしょになってからは
体調が悪くなってくると、ストレスがたまってきたのかなと思うようになった
体の中の菌のバランスや目の見え方、だるさなどで判断している
ちょっと前に、係りつけの病院の看護士に痩せてきたから先生と相談したほうが良いかもしれないね、といわれたことがある
確かに今年の春から比べれば7キロ以上減っている
一時期食欲がなくなり、そのときから顔がこけはじめ四肢が細くなり、副作用かなとは思っていた
疲れていなくても休んでいた状態から、疲れてしょうがないから休むようになった
やる気が出てきて力がみなぎる感じがするのは週に一度あるかないかだ
HIVに関係していればこの痩せる問題にはいつかぶち当たると思っていた
見た目が気になるとかではなくて、疲れがいつまでもとれないようなだるくため息ばかりが出てきてしまうこの状態がつらかったりする
きっと治療の段階からひとつずつ予防になり、そして、次の段階に来ているのだろう
継続というのかな
HIVに感染し合併症(AIDS)を発病してからだんだんと自分を取り戻すにつれ
生れたある意識について、少しわかったことがあった
罪の意識
罪悪感
自分の中で答えが出たというか、見方が変わったというのか
意識の重さが軽くなったような感じだ
患者の立場からでのみ見ていた世界が
客観的に患者を身近に置くという見方を感じられるようになったらしい
「もし、あなたの大切な人、身近な人がエイズになったら、あなたはその人のことを責められますか」
もしこんな立場になったとき、どうするかと考え始めた
私には責められない
責める必要も無い
一緒にいて何をしてあげられるだろうと思う
私は特に「愛」ということがわからなかった
ただ、好きな人や大切な人、親などが病気になったときはかいがいしく世話をしていたようだった
「それが愛っていうのよ」
友人にそう言われたことがある
自業自得
以前はこれで終わりの無い罪の意識でまさに自分を苦しめていた
でも、どの病人でも同じ
死なないための生きる恐怖
そこにどんなことがあったにせよ、誰もその人間を責める必要は無い
もし、大切な人が特にこの「エイズ」になったとき、相手や周囲の人間はその人を責めることができるだろうか
そのときに「裏切られた」などと考え口にしてしまうなら、それは愛ではない
好きでいてくれる状態が好きなだけの幼稚な甘えだ
今になってそのことが非常によくわかる
裏切りを感じるような相手がいない上に、責めるようなものは愛や思いやりも同情も無いさみしい味気の無い人生を生きてきたのだろう
他人の心に触れるのが怖いのかもしれない
…でも、はやく気付いてほしい
私がはまっていた堂堂巡りになど落ち込まず、世界をひろげてほしい
ひとりのどんな相手でも理解しようとすればするほど恐怖心は減っていく
病気ということで死をとても身近に感じていた
それを身近に感じることで、結果、愛も身近に感じられるようになった
また、大切なものを失いたくないという思いが恐怖も生み出した
人の一生はこうであるというものではないと思うが、こうでありたいと思うこともよくある
discrimination
こんなことであらゆることが成り立ってしまうのも不思議だ
責めることも結局、怖いか怖くないかの比重が肝心だ
差別をするものは怖いから差別をし、差別されるものは怖いから差別をする
怖くないとわかれば相手を受け入れることができるだろうに…
差別は怖いからしてしまう
差別は一方的な側面ではなくされる側もいて差別はされるほうにも生れてしまう
どちらかが理解しようとしない限り、相手を替え、どこがでまた同じことをしてしまう
一方的に理解しようとすれば新しい道しるべがすぐそこにあると気がつくと思う
この隠れた「責め」「恐怖」「差別」はどこから来るのだろう
感染経路
どこで、誰から、どうやって
知りたがるのはそのことだ
どこで誰からどうやって感染しようが、同じ病気には変わりない
このことが実感できないのは、かかわりあいを持っていないからか、かかわりあいになりたくないのだろう
私は死ぬことが怖いのではなく
大切なものをなくしてしまうのが一番怖い
こうでありたい自分がある
それを失わせたくない
存在理由もほしいのだろう = ここにいたという証がほしいのだろう
いろいろな人がいて、みんな楽しそうだ
私はそれを見てほっとしたい
たぶん生きている間も死んでからも
今はそれができるか心配になっている
できそうにないと思い感じていることもあって、不安になりいらぬ恐怖と差別を生んでいるのだろう
みんな仲良くしてほしい
それだけだ
喧嘩せず、怒らず、憎まず、人に不安を与えず
欲をもっといえば、みんなにここにいてよかったと思ってほしい
最近の私は自分の体が痩せていくことをとても気にしていた
今までのつらかったこととだぶらせ、また、つらいを思いをするのではないかと考えを進ませていた
そのときに同じ病気の友人から「あまりくよくよ考えないほうがイイよ」といわれた
彼も彼なりに落ち込み気味といっていた
彼はそんな状態で励ましてくれた
いや、私が勝手にそう考えているのかもしれない
そのとき、なんだかまた、生きようとしていける実感をもらったような気がした
くよくよするのもいいが外に出ないと何も変わらない
何かをしないと始まらない
この病気から発生するさまざまなことはどんな争いになったとして負けるようには思えない
病気自体を攻めることはできないからだ
それに気がつくまで随分と時間をかけた
これもHIVが教えてくれた成長だと思う
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11 月
ある日のことだ
薬の調整と検査に診察が重なり、外は雨で思いのほかよく降りつづけていた
HIVの合併症MACの痛みが軽く感じられるとき、なぜか姿を隠していたやる気がなんとなくその影をゆっくりと実体にかえていく
そうすると雨の中でもずんずん歩いてやろうという気になり、その日も、大股で駅への道を進んでいった
私は体力と気力の面でたまにしか電車に乗らない
このごろは季節を問わず、咳をしたりハナをすすっている人が多いのもその理由の一つだ
そんなだと、乗客の一挙手一投足が新鮮に物珍しく感じられる
つり革につかまろうしたおばさんの手がかろうじてわっかに引っかかり、私の目前で伸びきった動物の背伸びみたくなっていたり
床に吐かれたゲロをいとわず踏みつけて目的の駅まで気にもしていないおじさんなど
格好は気を使っていてもその所作にはまったくセンスのみじんも感じられない人の多いこと
笑いを押し殺すのも一苦労だ
そんな大道芸の後は病院でのめまぐるしい出来事でおわれ、ほっと一息ついたのは午後の2時過ぎだった
帰る道々、寄る所の順をシュミレーションしながら病院玄関を出ると、まだ雨がふり続いていた
それも雨足は強くなり、これは待ったほうがイイなと思えるくらいで、30分程度と思い振り返った先のロビーのソファで時間を過ごすことにした
どこに行ってもするように、その空間が一望できる位置に奥深く座り、ふうっと息をはく
午前中の人だかりは適度に減り、病院特有の午後の整然とした流れ作業が目に付くようになっていた
清掃員の手馴れた様子、事務をする人の追い込み姿勢
昼食とも3時のお茶の時間ともつかない軽食をとっている人、見舞い人の華やかな身なり
それぞれの世界の交錯している雰囲気があり、病院なのだなあと感じられるひとときだ
ただの雨宿りにしたこの空間、その日はいやに冷静で傍観するのにはあまりある余裕があった
きっと、自分の気持ちとものの見方で変わったように感じるのか、なにか増えたのか、そんなことを考えるにも今日の中には時間が用意されていたみたいだった
ふと、さっきまでの出来事を思い返すと、重要なことがあるのに気がつく
薬の量が減ったのだ
2種類、1日3回飲んでいたものが合計6個減った
それだけのことが自分の負担と感じていたある部分、別の事象を感じさせる余裕になっていたらしい
価値観の変化というのだろうか
体力がつき、免疫も増えてくると予防としていた事柄も次第になくなっていく
今回の投薬の減量もそれにあたる
身軽になっていく分、なにかを見るゆとりができるのだろう
そんなゆったりとした流れではなにを考えるでもなく、漫然とものの様を眺めるだけだった
心は静まり、余計に気を回すこともなくなり、気持ちの良い感覚を楽しむだけだ
がっくりと力が抜けた本の一呼吸、
「病院は、私の一部だ」
そう素直に感じ入った瞬間、その認識まで生れてしまった
HIVに感染していることを告げている知人からは
「別荘だね」とか
「セカンド・ハウスだね」などと言われたりしていたココなのだが、それ以上に気持ちの中では大事にしていたのだ
時間が過ぎるという事は悲しいようなやるせないような
主観的でもあり他人事のようでもあり
当然の事実だ
変わらないものはなにも無い
以前から当てはめられてきたことに、こんなことまですっぽりはまってしまうなんて少し滑稽な手応えを持ってしまった
なにをしていても一喜一憂
バランスはいつかとれるのだなあ
慣れ親しんだロビーのソファに座るというよくある事、偶然のようでもあり必要不可欠でもあるような、けれども
そんなことにも感謝したくなる瞬間…
病気について、病院についてなにかと言われていたことでいやな気分になってしまったり、
考えたこともあり、思いもよらぬことを経験したりと、
自分、他人のことをなんかで疲れてしまっていたのかもしれない
Here as I watch the ships go by,...
ある歌のフレーズだ
バラバラになってかなしい気持ちを持っても、時は過ぎていく
それをしっかりと見据え、口にすることができるまでここに居よう…
私にこんな時間を与えてくれたことに感謝しよう
そして、そのことを忘れぬようにしたい
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12 月
Merry christmas
今年のプレゼントはなににしようかと考えていた
彼と出会ってから、毎年この季節はそのことを考えている
形になっているものがいいか、残らない物がいいか…
こんなことを考えていると、それまでのふたりの思い出がいろいろと浮かんでは消えて行く
2年前のクリスマスは病院で迎えた
抗HIV薬による投薬治療で、精神的にも思考力の面でも、そして、脳症の経過も随分と落ち着き、まわりの状況も理解できるくらいの余裕が出てきた頃だった
そして、この時期が私にとって一番思い出しにくい時期でもある
食欲がなくなり、薬の副作用で味や匂いなどもかなり異常が出ていた
味や匂いが好みに合わないときの抵抗感と失望は少しわかってもらえるかもしれないが
食物に対する味覚や臭覚が異常に極端になり、しょっぱいものは塩辛く、甘い物はのどが焼けるくらいに甘く感じ
匂いは特にその香りが個性的な物であればあるほど飛びぬけてひどい匂いに感じられ、しいたけなどはその代表格だった
あの独特な匂いは、今は大丈夫なのだけれど、もし、病院食に入っていようならトレーにのってきた物にはいっさい箸をつけられなくなっていた
病院の食事のひどさや部屋が臭いなど、見舞いに来ていた人との会話はほとんどそれだったような気もする
そんなことが続き、食べることに抵抗があらわれてきたある日、彼が手製の食事を持ってきてくれた
…ようなのだが、よく覚えていない
夕飯時になると、彼が食事の用意をしてくれ、病院の食事と一緒に並べられた、ような気がする
「今日のメニュウ」と書かれた、はがき大のカードには、献立と家で留守番をしていたねこたちの画像が印刷されていた
このカードは今も残っているので間違いはない
…けれども、その献立を見ても食べたのかどうかははっきりしない
そんなことを彼にいうと、非常にがっくりと肩を落としてしまう…
申し訳ないが、そうだった、かなあ、というくらいなのだ
それは、その年のクリスマスあたりまで続いたかもしれない、と思うのだけれど、それも確かではない
情けないが、どうにもならない
入院をしていると、日本や他の国からも研修でいろいろな人たちが来ていた(これはよく覚えている。なぜかわからない)
同じ地区の病院や他県から、中国やそのほかの国、研修医から看護学校の生徒まで、毎月のようにその人たちと私の病気のことについて語っていた
そして、ちょうどクリスマスの時期に、看護学校からの生徒が随分な数、入院していた病棟にやってきて
「清しこの夜」や「ジングルベル」など、よくあるクリスマス・ソングを歌ってくれた
病棟でも、雰囲気づくりか、照明を消していたように覚えている
各病室で1曲ずつ、手にはベルとあかりの灯ったロウソクを持って巡回して行く
そして、患者ひとりひとりにクリスマス・カードを手渡してくれていた
私ももらった
顔はよく覚えていないのだが、そっと渡してくれた手と、ちょっと触れた手の温もり
そして、「はやく良くなってください…」と、恥ずかしげに言ってくれた言葉がとても印象に残っている
学生さんたちが部屋から去ると、どこか遠くで歌声とベルの音がする
薄暗い部屋でぼんやりとカードを見ていた時
「良かったね」と彼が言ってくれた
その頃からだんだんと記憶ははっきりとしているように思う
クリスマスといえば、当然のようにプレゼントの交換がある
物と物の交換であったり、思いを形にしたものでもあったり、その位置づけは様々で色とりどりで、まさにクリスマスのイルミネーションのようだ
多かれ少なかれ、自分の相手にたいする気持ちで出来上がっているのだと思う
自分を表現することが出きるチャンスなら、どんなことでもそのときを生かすと良いのではないかと、殊、このウイルスを意識してから思い始めている
この生物の存在を感じていなかったそれまでとはちがい、この時期の華やかさは、より冴えてはっきりと私の目の中や肌、からだ全体で感じられている
そして、もはやそんな感覚では足りないほどでもあるときがある
「まだ、こんなにすばらしい輝きがあった」
そんなことも感じてしまう
自分のことでいっぱいになっているときこそ、その輝きはまぶしく私目の中に飛び込んできてしまう
私が生きているこの世界は自分のことだけで成り立っているわけではないということを気付かせてくれているのだろうか
この「For HIV」のコメントを書いている日は、奇しくも11月28日、Thanksgiving day だ
和訳では、感謝祭などというが、私の思いは、いろいろな機会を与えてくれた今の状態を意識し、出会った多くの人たちやその思いやりに感謝したい
そして、なにより私を支えてくれた彼に心から深い感謝と愛情を贈りたい
Merry Christmas!
Love always.
&
Happy new year.
k1
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2003年
1 月
限界
何気ないそのときに、はっきりとわかってしまうことがある
どこかで自分は周囲のひとたちに気を使わせてしまっている
その人の能力の限度を越えてしまっているときにそれが感じられる
相手からは
病気だからあまり無理をさせるのはやめてあげよう
ストレスになるようなことはしないであげよう
病気だから無理もない…
私からしてみれば
だからなに?
単純にそうおもってしまう
この「For HIV」というところは
この表題のままだ
放棄
なにかしてあげられている私には、してあげられないことがある
それなのに、して、してと、せがまれる
私はいやな気もしないのでするが
すればすれほど、して、してと、要求されてしまう
それの繰り返しで、やはり自分が疲弊して行くのが感じられ
突然に、寸断してなにもしなくなる
体力が無くなると気力も無くなる
傍からは、いつもなにもしていないように見られるのがこの状態だ
この「For HIV」というところは
この表題のままだ
能力の限界、能力の放棄
自分の限界に強くこころをひかれるときがある
そちらのほうが楽だからだ
自分が自分である事までもやめたくなるときがある
そのほうが楽だからだ
その先に何があるのか
それから先どうしたいのかなどは
はっきりとわからないし、まったくわからない
今が良ければ、それでいい
その時々に納得していられれば
様々な事態にも直面できることだ
この「For HIV」というところは
この表題のままだ
能力
見合う事を知るのは可能なのか…
もし、溢れてしまいそうなのならば、こぼさない事を前提にその能力を駆使するのだろう
もし、溢れでてしまって取り返しがつかないと思えるのなら、…拭き取ればいい
許容範囲がゆるす限り
同化すればいい
体の中の無数の生命
どれをとりあげても自分の一部だ
どの命が私を生かしているのか、なんて、まだわからない
ただ、私が感じられる範囲
生きる力はどこからか、ある
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F i n a l
あなたの夢はなんですか
いつになく、
むかしほどではない、漠然ともしていない
はっきりしているのは、まだここに居たい
終わりがいつ来るからわからない先の話だ
しっかりと手応えを持っていられると思えれば
先のことなどに感じ入ることはない
つかみ所のないことが多すぎるのは
多分に自分の先望に違いない
HIV に感染し、AIDS を発症した2000年
夢などということも考えなかった
自分に課せられた日々の繰言をこなし繰り返し
わずかな楽しみに瞬間酔う
死の予感もなく、生の実感もうすい実生活がふつうに流されていたあの頃まで
夢などとは、ひたすらに相峙て
あえて付こうとはしなかった
現実の中で、生き死にについて深く触れたのはほんの一時期
それも長くなく
居眠りのような気軽い空気が心地良くもあった
また、別の現実では生かされているという死想観が
生きていることもそうでないことも、面倒なものに変えてしまう
泣きたいような事柄にも諦められない
楽しいことにも諦めきれない
いったい、どれが自分なのか
そして、誰のためなのか
どこからこんな自分がやってきているのか
何をしたいのか
申し訳ない自問とそのこたえは
おそらく、続けられるのだろう
良かったと思うことが出きるまで、切れないのかもしれない
生きるという繰り返し
「なぜ生きる」という思想にも通じるのかもしれない
「ふつうに生きる」
とても高い憧れを抱く
この下は何なのか
上はいったいどこまであるのか
遠いはずなのに親しみを感じる時間の流れが
今、生きるということにつながる
もっと近くにあればイイのに
触ることもできないのか
すぐそこにあるのに
For HIV ということに携わり
その人間関係にもかかわり
ただ一つつかむ事ができたのは
夢を持つということだった
各個人にある儚い夢は
どんなことがあってもその身からは離れないだろう
その確固とした思いは、夢にも通じる
あなたの夢はなんですか
「私の夢は、HIV に感染して、AIDS を発症するということは、ただの病気
リスクとしてとらえられている事も、普通にある出来事として在り
生きていく上では当然のことのひとつ」
儚い現実として、この自分の考えは恐怖心を持って
夢が現実になるまで、底辺の一部になっていくのだろう
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