Leaflet SOMETIME 1-10

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12月1日 この日は、世界エイズデー」
NHK と WOWOW でいくつか特番がありましたみなさんはご覧になりましたでしょうか
2003年11月27日から12月1日には、「科学とコミュニティの英知の統合」というテーマで第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議が神戸で開かれるそうです
この日、観ていたテレビ番組の中、特に民放などでは特集やそのコーナー枠もありませんでした。

ちょうど、日曜に当たってしまったからなのでしょうか…
そして、
家でとっている朝日新聞でも「世界エイズデー」関連記事は見あたりませんでした。

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NHKテレビ 1 21:00 NHKスペシャル
「エイズ・世界はどう立ち向かうべきか」

NHK衛星第1 23:00 海外ドキュメンタリー

エイズ・カクテル療法 6人の記録

WOWOW

「Act Against AIDS LIVE 2002」

4/DEC/2002

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1号でお知らせした、WOWOWのプログラムは受信できないので観ていないが、この活動や他の関連する事柄について少し調べてみた。
「AAA」と略された通称が一般的、 「Act Against AIDS(エイズに対する行動)」
この趣旨で音楽業界を中心にチャリティ・コンサートやポスター制作、チラシやパンフの配布、コンドームの無料配布、各団体による電話相談や資金援助など、エイズに影響を受けた人間へのサポートをするらしい。
エイズの正しい知識を持つことを目的とした、啓発運動の総称に思われる。

Artist
Against AIDS World Wide "What's Going On"
2001年にアイルランド出身のU2の呼びかけで作られたMAXI CDで、マーヴィン・ゲイの「What's going on」をリミックスした9曲構成。
Act Against AIDS Live
東京では日本武道館、Bunkamuraオーチャードホール、velfarre、名古屋では名古屋市民会館大ホール、大阪では大阪城ホールなどで12月1日のエイズデーにあわせたチャリティ・コンサートを行っている。

このほか、クラシック音楽や他のジャンルでもその収益金をエイズのための寄付金に当てるなどしたCDが多数ある。
今回、「Against AIDS」というキーワードでできる限り調べてみたが、その趣旨から生れた運動は多方面で特に世界エイズデーを中心に進められているようだった。
各国の有名な人たちが名を連ね、有力な企業なども協賛している。
ところが、私の生活の範囲ではこの運動やその詳細は伝わってきていないと、私は感じている。
グローバルなはずの情報が、私個人にさえ届いていないというのも奇妙な感じはする。
きっとこのことは、もっと意識を高め、興味を持たなくてはいけないという事を暗黙のうちにメッセージしているのかもしれない。

7/DEC/2002

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12月25日 NHK 教育 ETV スペシャル 「エイズ 今何をすべきか」
このリーフレットの1号に書いた番組の続編のようにも思える。

随分と視聴者からの反応があったような前振りで番組は進められていった。世界のエイズ対策成功例として、今までの同局スペシャル番組で取り上げられていた他国の総括を伝え、残された15分を使って日本の実情を統計と経験的見地から推察していた。
司会進行は、下記の番組の解説者が行っていた。 22:00からの45分枠。
内容は以前に放送したものの抜粋と簡単なまとめのようで、ほとんど見覚えがあった。どれも薬についての取材が主だ。
番組の中では、日本の現状として、在日外国人の困難な医療状況が取り上げられた。費用や受入態勢の逼迫を強調していた。日本国内においての主眼は「知識+スキル」、つまり予防だ。
患者の生きやすい環境づくりを目的としているのだろうが、それは在日外国人のためであって、感染し投薬治療をしエイズを発病している国内の患者については特に言及されてはいないような印象だった。緊迫感はあまりない。
この番組は今の日本HIV感染対策をよく見せていた。多くを語ることのできない状況や知識の貧困、多大な偏見が、進行役の言葉の行間からもにじみ出ていた。「プライバシー」「患者ユース…」と言うくだり、非常に重要なことは今にしてもある。
HIV感染、AIDS発病に含まれる恐ろしさには触れられない、どこか甘えた意識の果てについての考慮は、この番組に敵対するHIV拡充の恐怖とは、すこしすれちがった地を目指しているようだ。
国家保証のある日本の感染者、そしてエイズを発病し投薬治療をしている患者の存在は、現在の限界に立つ碑なのだろう。

27/DEC/2002

++ 6 ++

For AIDS
Steroid
ステロイド 外用薬としてよく話題にのぼる。
 是非を問うことや恐怖心を持ってしまうかもしれない薬。まったく知らなかったり、強く拒んでしまう人をつくってしまう薬。その副作用の絶対的な存在感、その効果の高さにあげられる利便性はかえって逆凪を招いてしまう。

 しかしながら、その範囲を越えて命の糸目になることもある。そのしこりに似ている感覚は、体験後の生きている実感でわかることだ。
 この薬の崇拝者でもなく根絶運動でもない、ただの経験者の過ぎてきた時間のかけがえのない事実として、治療のためにやむを得なくなった患者への癒しの一端に。
 確実性の高い抗炎症作用があり、急性の場合、顕著に病状の変化をみることができるようだ。薬の効果の度合いも何段階にも分けられ、その形も様々な場面で使用できるように液体、固体など、外用内用としても変化に富んでいる。
 外用薬としては、皮膚に塗布したり、目薬として点眼するなど。内服薬としては、錠剤として、点滴として投与する。
 薬を使用すると高い効果をみることができるが、その副作用の懸念から中止にいたる経過が長期にわたったり、個人によるが生涯の投薬が必要になる場合がある。
 この時期を違えるような場合、症状の悪化や慢性化もあるようだ。

 私の場合は、プレドニン5mgを5錠と、サイトメガロに関する治療で点滴に10mgを投与された。朝、昼、晩の食後、2:2:1の割合。ピンク色の小さな粒がとても苦く思いのほか飲みこみにくい。このほかに、薬疹を抑えるために内服の量を45mgに増やしたり、ソルメドロール1000mgを点滴したこともあった。そして、夫々の減量については半年以上の時間を要した。
 薬の使用にあたっては、医師や薬剤師からの充分な説明がある。服用後、確かに患者自身が感じ取ることのできるほどの効果の速さと症状にたいするストレスの軽減はある。個人差の多少はあるにせよ、薬効を実感できる。ただ、副作用については実際に現れてみないことにはその有無はわからない。服用しつづけている間の副作用、服用を中止した後の副作用、副作用の強弱もまた然りだ。
 治療として始まるこの副腎皮脂ホルモン剤の投与は、その治療期間よりも時間のかかる、薬との付き合いに他ならない。
 私個人の副作用として、服用中止1年がまもなく経つにもかかわらず、その影響は全身にわたって現れているようだ。


10/JAN/2003

++ 7 ++

For AIDS
闘病
「HIV 感染症」
後天性免疫不全症候群(AIDS)」
「慢性疾患」。この中で何がつらいかという判断は勝手につけられない。
「感染の事実がわかった段階」
HIV 消耗症候群」
AIDS 発症」
2003年現在、「一生にわたる投薬の継続」。どれをとっても非現実的な出来事にも感じられてしまう日常。
多岐に違った物の見方があり、当事者であったり、そうでなかったりという簡単なことで両者が傷ついてしまう今、闘病の真意はどこにあるのだろう。

「闘病」という言葉のイメージは、本当にその字面の通りなのだろうか。
「闘」は、それをすることで打ち勝つということだろう。
「病」は病気。
「病気に打ち勝つ」が「闘病」ということに近いのかもしれない

「苦痛や障害を乗りきろうとする。打ち勝とうと努力する」(LYCOS 辞書検索 小学館刊行「大辞泉」のデータベースより)
これは「闘病」という言葉の意味のひとつ。
闘病するということには、慢性的な症状があるということにもつながるだろう。
「長期間に及ぶ闘病生活」これは、「慢性病を患う」ということにもなるかもしれない。
「慢性疾患」 =「治癒までに長期間をゆうする疾患」 治らないことはないが時間がかかるということか。
「疾患」 =「悩み、病気、苦しみ」(「広辞林」新訂版 昭和9年3月5日 三省堂)
長期間に及ぶ闘病生活の悩み、苦しみ
「病気」ということ全般の意味合いやイメージなどが網羅されてしまうほど、重苦しい。
慢性病としての息苦しさが、本人の肉体だけではおさまらないかかわりを容易に表現している。

ただ、「闘病」すると感じるか否かは、各当事者の状況が重要な意味を持っていると実感を得てそう思える。

10/FEB/2003

++ 8 ++

For AIDS
感染しやすい
・ア ト ピ ー 性 皮 膚 炎
・結 膜 炎
・副 鼻 腔 炎
・口 角 炎
・白 癬 菌 症
・痔

誰でもどれか経験したことがある病気が、私には一度にやってくる

油断していてもそうでなくても、一つ一つか順繰りに次から次へと炎症を起こす
同時進行でひどくなってみたり、ぱったりとかげをひそめてみたり、肩透かしをくらわせる
これらは細菌やウイルスによる感染症だ
忌々しいのは、HIV に感染していない場合にもある病気なので、ぞんざいに扱われる
治療について数多くの外用薬、塗り薬の処方で患部別に薬を変えたり重ね塗りをしたりと
体の内も外も薬でいっぱいだ
薬の効果もまちまちなので足並みがそろうことは無い
上にあげた感染症は更生医療適用外だ
カルテにも「更生医療不可」と太字で書かれている
しかし、この制度では申請をすれば控除されるというが、会計上は適用されない

私の持っているウイルスによる感染は、更生医療の認定に大きくかかわっている部分と、いらない部分というように分けられているようだ
それはしかたがない
ただ、「かかりやすい」ことと「治りにくい」という事実は見えない認識になっている

「ふつうでもなる病気だから、なりやすいのは事実です」

この何気ない、聞きそびれてしまえばそれまでになってしまうような言葉を聞いたことがある
体調は良くても、表面の感染症とは常に交戦状態という事実が納得できたのもその言葉のおかげだ
そして、体は中から外側へと良くなるということも聞いたことがある
皮膚や粘膜は後からなのだ
かかりやすい、治りにくいから意図的にぞんざいにしてしまうのでなく
かかりにくいように、治りやすいように意識をするということなのだろう

13/FEB/2003

++ 9 ++

For AIDS
Quality of life
 「QOL」 狭い域から派生した言葉が、だんだんとその意味を広げている
 「生活の質」から「より良い生活の質」と負荷価値が付けれら始めている。
 合わせては「何のための〜」と変化している

 病気やケガ、老いなどで社会の中で日常、行動に制約を持つ人が「より良く」「快適に」「意味のある」生活を体感することができるように、この「QOL」が頻繁に利用されているようだ
 「QOL、”Quality of life”」その実像を追い続ける理由は、どこで光明を得るのだろう
それは思ったよりも近くにある不慣れな言葉なのかもしれない
ここで特に言うことができるのならば… PWH/A=People With HIV/AIDS  にとっての具体的な項目でもある、ごく自然にある生活に負荷されている投薬の継続だ
 「健康」という「継続的な現象」ではない状態での義務に似たその行為は、常に感染者を感染事実に直面させ、希薄でもある健康神話を追わせ続ける
 取捨選択をも負わなければならない感染者に加え、かかわりを持つ全ての事柄まで巻きこみ、果てにはデクレッシェンドにさえなりかねない人生の浪費を招く可能性も感じる
 まさに、
QOL の低下を招くことでもある
 「QOL」ということは、疾患を抱える以前のような状態に戻すことでもないし、病気だから疾患があるからと特別視することでもない 誰にでもどんな場合にでもごくありふれた人生の一端
 各個人の人生に対する指針を明確に持つということかもしれないが、
近未来の希望として、HIV に関わる事柄全てにも、この Quality of life 、夫々の生き方を受けいれ、事実と共に生きていくことができるようにと願う、恒久的な人の充足した幸福感のひとつとしてあることなのかもしれない

18/FEB/2003

++ 10 ++

Actual
 私が2度目の入院をしていた頃、同室の患者さんやその家族から言われた言葉で、「汚い」というのがある。
その患者さんは感染症ではない他科からの方だった。
 ある日、その奥さんが病室に小走りに入って来るなり、
「ここって感染症の病棟なんですってよ、汚いわあ」と入院中の旦那様に、ややうわずった口調で、これから繰り広げられることの口火を切った。
 以下は簡単な会話の再現。
妻「ねえ、病室変えてもらいましょうよ」
夫「あああ?」
妻「汚いわよぉ」
夫「なに言ってんだ、大丈夫だよ、病院なんだから。ちゃんと消毒してるよ」
妻「でも、うつったりしたらいやじゃない」
夫「医者がそんなところに入れるわけないだろう、いいかげんにしろよ」
 このときに初めて自分は汚いと思われる病気にかかっているのだ、と思った。

 もうひとつ、入院中に医療関係者のひとこと、ふたことに似たようなことをみたことがある。
 他科からの緊急の患者さんが同じ病室に間借りしてきた。その方は以前にこの病院に入院経験のある、いわゆる常連さんだったようで、本人も家族も彼の病院スタッフもなれた感じで入院してからの予定などを話していた。
 一通り、説明を終え、彼の主治医が、「ごめんね、こんなところしかあいてなくて」と言った。それに続いて母親が、「いいんですよ、ちょっとの我慢ですから」などと、ひどい咳をまじえて部屋に鳴り響くような声で医師と笑いあっていた。
 主治医は退出し、もうひとりサブの医師が同室になったばかりの彼の元に来て、「すみません、ここしかなくって申し訳無いです」と先ほどと同じようなやり取りをして部屋を出ていった。程なく、母親も痰のからんだ咳をしながら部屋をあとにした。
 それから数日後、私を含めHIV 感染した同室の入院患者全員ひどい風邪をひいた。この彼はわがまま放題し、この部屋をあとにした。
 今回、この実際のことを公開しようと思ったのは、やられたからやり返す、と言う意思からではなくて、実際にかかわっていない人のたったふたつの小さな例として知っておいていただきたかったからです。
 知ることで判断のひとつになるのではないかと思ってのことでした。
 「No Wars」という、最近の世論もあり、闘いはなにも生み出さないと言う実論を感じ、AIDS とはなにか、HIV に感染するとはどういうことなのかということを、これを知っていただいた方、そして、自認のためにもあえてここに残すことにしました。
 「実際」はこんなものです。

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 再現する段階で、記録のない事実に私的な解釈が入ることをご容赦ください。

2003年3月4日

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