9月
September

今日は1日からだがだるくてしょうがなかった
台風が来ているからかもしれない
なんだか右の股の辺りの痛みがとれない
肩も上がらない
運動不足だといわれるが・・・

りんごジャムを作った
サンサという品種で水分が多く甘酸っぱい
作っていてあっという間に煮えるので色も変わりにくい
更に味が良かった
紅玉でつくるよりも美味しいと思う
彼にすっぱいのと甘いのどっちがいい、と聞いたら
「あまいのぉ」と、おこちゃま語でリクエストされた
あまあまのシナモン風味のコンポートタイプにした
1週間の献立も考え、買い物リストと買い物の日も決め
台風対策、洗濯の配分、レシピを作り、ネコの手入れの日も決めた
ちなみに明日の夕飯は、明日が賞味期限のえびシュウマイに唐辛子スープ、石垣で買ったチャンプルーの素でチャーハンを作る
このチャンプルーの素は沖縄にいったらぜひ買ってきて使ってもらいたいくらい旨い
良くある振り出すタイプなので簡単に風味がつけられる
他にも種類があるのでそばにおかゆにといろいろ楽しめると思う

彼の仕事の関係で私も一緒の時間に朝起きをしているが、それが5時なので9時前にはねむくなってしまう
良く寝たーっと思って時計を見るとまだ同じ日だったりする
夏は4時過ぎには明るくなっていだか、今は5時でなんとなく薄暗い
鳥も鳴かない頃、むくむくとふたりで起きだすのだ
猫も物音で起きるけれど、どこかうつろで朝の8時前には熟睡体制に入ってしまう
私はその間、薬やらなにやらとそそくさと動いているのでなんだかあっという間に夕方のご飯時になっている
そうするとずっと寝ていた猫も起きだすのでご飯をやってトイレ掃除をして、人の夕飯の用意をして彼をまっている
6時半ごろに帰ってくるのを見計らって玄関で猫5匹と一緒に待っていることもある
いざ帰ってきて今日はお昼なに食べたー、と聞くとその日の献立とバッティングしていたりしてショックを受ける
まあイイかとかたずけまで一気に済ませて次の日も同じ時間に起きる
こういうのもイイのだろうとなんとなく思う
あしたは生ゴミの日だ


27日に緊急に病院に行く
薬の数が足りなくなったからだ
午後になってからの診察室は誰もいなかった
HIVに関する読み物なんかを眺めていると病院のスタッフがまとめている情報誌の2号があり手にとり読もうとすると名前を呼ばれた
主治医が確認するとお目当ての薬は投薬のリストから外れていた
あははあ、ごめんねえ、と笑っていた
その日は身長と体重も計った
まるで入院するときと同じだった
会計も終わり、薬ももらいちょっと一休みと思ってさっきの機関紙に目を通すと
『肛門部の感染に要注意!』
尖形コンジロームやヘルペスのことが書かれていた
「どきっ、そう言えばなんだか硬くなった(肛門)気がする・・・」
うなりながら診察室に戻りこれこれ、これとおんなじっ!といったら、見てもらいましょ、と再び診察が始まった
「どれ、ちょっと見せてもらえる」
手早くパンツまで一気に下げ、診察台の上に横向きになる
「失礼しまーす」
右のお尻を軽く持ち上げられ、御門を見つめられた
「ああ、切れてる
ヘルペスだねぇ
6時と12時の方向にぱっくり
しみない?」
矢継ぎ早に肛門様のご機嫌を聞かれ、しみませんっ!などと声高に答えてしまった
「へぇぇ・・・
コンジロームにも見えなくないけどこれっていう感じがしないから単純ヘルペスだねぇ
塗り薬あげるね」
もぞもぞと身支度しながら薬の塗り方まで教わり
「1日2回ね」
「はい」
ほっとしたような高波にさらわれたような変な気分で診察室をあとにした
それから家に戻りなんとなくしたくなったので便座に座り、紙でふいたあとを見ると出血していた
「気が抜けたんだなあ・・・」
早速、裂けた肛門に薬をぬりぬりした

石垣島から帰ってみるとこちらは寒い
行っている間は3日間晴れていたので相変わらずの日差しだったが先月とは多少重さが無くなっていた
石垣は都会だと聞いていた
それなりに店屋が多く人もすれていた
小ぢんまりとした那覇という感じだった
食事はガイドブックが当てにならないことがわかったので経験と勘で探した
沖縄料理というものはそれほどうまくなかった
漁師がやっている・・・というところは魚関係が抜群に旨かった
刺身がウマイ
石垣も含まれる八重山の料理がとても印象に強く残っている
魚がウマイのは当然
ソーキそばとか沖縄そばとか言う類で、八重山そばというのがバカ旨
前の2種類は個人的に旨くなかったが、この八重山そばはダシから麺から具から薬味からひとまとめにして旨かった
お昼に最適だと思った
オオタニワタリという植物の料理があってそれが意外な歯ごたえと風味でこれもうまかった
観葉植物として普通に売られていたりしているので自宅でも気軽に切りとって食べられる
島では路地に生えているので今夜のおかず用にと葉を切り取ったあとがあったりした
ちなみに私も育てているのでそのうち・・・と考えている

竹富島にも行った
船で15分と気軽に行けた
レンタサイクルでまわったのだが、いや爽快この上なかった
白い道に緑の木々、青い空に白い雲、心地よい風にきらっと光る日差し
そこをチャリで突っ切るのは快感だ
ビーチでは満月ということもあって異様に波の干満が激しくかなりの遠浅になっていた
最近海に行くと必ずしているシュノーケリングでのぞいてみたが海草が多い
珊瑚は小さいものがそこここにあり、無くなったものが戻ってきているという感じがした
なまこなどもうろうろしているのが、なんとタコもいた
生ダコは初めてである
砂と同化していたが人の目には、タコだねとわかってしまう
手の平くらいの大きさで、わからないようにそう〜と移動していた
フエフキヤッコやチョウチョウウオ、40センチくらいの鯛もいたりしてなかなか見ごたえがあった
街並みは珊瑚の塀で囲われたあの風景だった
背伸びをすれば庭がのぞけてしまうくらいなのだが、やはり島民の住宅なので多少気が引けながら自転車を転がしていた

石垣島には直行便があるので気軽に行くことができる
そこからの船のつなぎも充実している
障害者手帳があれば使える
時間とお金があれば他の島にも行ってみたい

あさって21日は石垣島に行く
今日その荷物を宅配で送った
小さめの物ひとつだったが彼がそう配慮したのだろう
短い旅行なので荷物も薬も少なくてすむ
相変わらずの腰痛に再び左手のこわばりも出てきた
いくら体調を気遣ってもこうだから甲斐がない
3時間は有にかかるので機上でも昼食がでる
以前、那覇に行ったときは私の足がチェックインの時間に追いつかず乗り遅れてしまったので
今回は4時間前のスタートにしようということになっている
彼はそのときの昼飯、ひつまぶしを逃してしまったのが今でも悔やまれているようだ
結局、昼抜きだったし・・・
ということで、2、3日留守にします


むずむずと笑ってしまう夢を見た
どこかの野原にあるトタンの小屋に4、5人の20代くらいの男の子と一緒にいるのだが
そのこたちの顔から動物のような毛が生えて耳がとがりからだがずんぐりとして終いにはアライグマになってしまった
特有の手をこするような洗うような仕草をしてなにかちょうだい、何かあらわせてちょうだいみたいに近づいてくる
あんまりにかわいいので良し良しなどと撫でるとその目だけが人のものになってにんまりとしていた
そこで目がさめる
まだ暗かったがふと彼のほうを見ると
全裸になって歩いているところだった
今回は自分が裸でもない上、現実の人間が目の前で裸になっていた
ふふふ、と朝の5時に吹き出してしまった


この前見た夢が現実になった
ある部屋で私はその出入り口の辺りをぼんやりと見ていた
おもむろに引き戸がスライドして入院していたときのある看護婦の人がピンク系の制服を着て入ってきた
あ、○○さん、と、名前を呼ぶと
ちょっとお願いがあるんだけどぉ、と言われ
私は夢の中にもかかわらずその言葉からある人物が思い浮かぶ
○○さんのこと?と聞き返す
そうなの
もしやとひらめき、あと、どれくらい?などと更にたずねると
1ヶ月
ああ、やっぱり・・・
ここで夢から覚めてしまった
私の場合、夢が現実になるということが年に何回かある
そうなるとき、目がさめたときの独特な感覚が体に残っているのだが今回もそれが感じられてしまった
それからしばらく、9月6日のこと、夢で尋ねた人物から連絡があり来月に精密検査をすることになったと言う
同じ時期に入院してたその人
なにかがが動き出したらしい
今回のこれは後味が悪すぎる

今日家が出来上がった
構想から3年半、黄色の洋館が完成だ
父は引越しでてんやわんやのようだった
彼の20代からの夢が形になったのだろう
ちなみに父は60歳中ごろである
私はベッドと三角枕を送った
1階でも2階でもゆっくりとできるようにしっかりとした頑丈な物にした
引っ越した荷物をとくのも一苦労だとこぼしていた
確かにダンボール箱50個は大変だろうと思う
がんばれっ!パパ

先週の土曜日、6日から右腰と股関節にかけ強い痛みがあった
身動きができなくなる痛みで、「こりゃ、点滴かな(=入院)」と思ったくらいだ
私の尿には油膜のようなぎらぎらするものが表面にたまる
飲んでいる薬の結晶だそうだ
それが末端の関節や腎臓などに蓄積され、なにかしら排泄されないと今回のような激痛の原因になるようだ
足を動かすにも痛い、身体を動かすにも痛い3日間、気分もなにも落ち込んで口の中がカンジダでいっぱいになった
こんなときは寝ると治まるのだが、そう、心行くまで寝ていられない
まあ、いろいろ放棄してただ眠ると、尿に油膜のぎらぎらが出てくるし、カンジダも出なくなる


私を元気な人と思ってくれるのはそれでいいが、それに答えられる自信が無い

それに、生きていくので忙しくて疲れたなんて言ってられない人などいない

どんな人でも疲れる
それをどれだけ口に出さず我慢できるか
よく言われるそんなことが美徳なのだろう
もし「疲れる」などと口にしてしまったらたちまち愚痴りになり根性なしといわれるだろう

どうでもいいことで価値を持ちたがるが体力でも気持ちでも持ちこたえられずに疲れることはある
私はこの病気になってから感情の起伏が多くなったように思う
気持ちが落ち込んだりすると体重は軽く減る、食欲もいいかげんになる
薬を飲むために食事をしているようなものだったりする
だから、味気ない
そして、これら生活のことで贅沢として批判されるときもある

私を元気な人と扱ってくれるのはいいが、私も疲れる
どうしようもなく身体を動かせなくなるときもある
無理をすればするほど、後のしっぺ返しはいた〜いものになる
ある人には自業自得とうつるのだろう・・・
生きている間そんな繰言が日々行われるのだろう

なにが負担で疲れるか
それは、自分でいられないことだ
病気にとらわれてもいないのに、さまざまなことで羽交い締めにされ捕らえられてしまう

覚えていないと理由もなく(私)謝らなければならないことが多い
脳症を起こすと狂人になってそのまま死んでしまうが、今は投薬でそんなひどいことにはならないようだ
例外になく私も怒りっぽくなっていたようで(私?)あちこちで起こり散らしていたようだった
そんなこんなの出来事で、よく、「あんたが言ってたのっ!」とか
「覚えてないのぉーっ?!」など、本当に身におほえの無いことをよく聞かされる
一応そんな場合、謝るようにしていた
それが始まりになって、それからの私の言葉のほとんどがごめんなさい、悪かった、悪いねえなどで終わっていた
退院から1年、そればかり言っていたような気がする
ある日、ひょんなことでそれにも疲れてしまい、やめにした
そう決めたあと、1週間で6キロ体重が減った
同じく1ヶ月半、口の中はカンジダに占領されていた
覚えていないことは仕方がないが、思っても見ないことを言われるのも疲れるということがそのときわかった
積み重ねてきたものが一瞬で失せ、自分から立ち上がろうなどという気力も見失ってしまった

それなのに、いま、こうしている
生きたいんだろうなあと、思う


本サイトのコンテンツは日本国著作権法の保護を受けています