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2000年10月10日 転院の日

この日は転院する日だった
朝からあわただしく引越しの準備をしていた
前日まで、お見舞いの人でてんやわんやしてほとんど何も手付かずだったこともあり調子の悪いことも忘れ、額に汗しながらの大仕事だった
このときの入院期間は3週間前後、しっかりとしていた記憶がだんだん薄れ、後半はほとんど覚えていない
HIV 脳症の影響が如実にあらわれ始めた頃でもある
おこりっぽくなり感情の起伏も激しくなり、周囲の者も「これはおかしい」とはっきり見て取れるほどになっていたようだった
カリに肺炎を起こし咳が止まらず息苦しい
非定型抗酸菌症で熱が下がらず咳もひどい
カンジダで、口、のど、食道が真っ白など、これらが”エイズ”ということなど、まったくわからなかった
病院側も始めから”あれ”などとは診断できないので、ほとんど毎日、何かしらの検査のオーダーをされていた
全身のレントゲン、CT、MRI、胃カメラ、ルンバール(腰椎、胸椎)等々
検査のためには前日からの絶食や朝抜き、昼抜きなど食事制限があり、ただでさえ痩せていく体に追い討ちをかけるかのようだった
案の定、胃カメラほのんだ日から食欲はガクンと落ちたように覚えている…
検査ラッシュの最終兵器”胃カメラ”これが一番時間のかかった検査だった
前日からの絶食、下剤に浣腸、それもふたつ
検査の日の朝、腹へりへりで立ったまま浣腸されて便器にしゃがみ、そのまま15分後には足がしびれて立つことができなくなり、よっぽど非常呼び出しのボタンを押そうかと思ったが、そこはヘンな意地で自力で立ちあがり、壁にすがりながらやっとの思いで洗面所まで辿り着きおどろいた
鏡の中に写った自分の顔が真っ白なのだ
蒼白というのはあのことを言うのだろうと思う
くちびるも血の気がなく、死人のようだった
ゲゲェ…
この間もずっと足はしびれ、洗面台にもたれる様にしていたところ、看護師が
「なに、貧血?」と、ぶっきらぼうに言うと、車椅子を飛ばして私に横付けしてくれた
「いえ、足がしびれて…」
「なんだ、もう、びっくりしたーっ」
こんな、ちぐはぐな会話をしていると別のところから「胃カメラ待ってるってよーっ」とまくし立てるような声が聞こえた
体調が優れないので、と言って断りたいほどの悪い体調で望んだ胃カメラだったが、そんなことはまったく関係ないかのように、さっさと検査室まで運ばれてしまった
検査は麻酔を2回してからになるとの説明を受け、すぐにのどの麻酔として液状の物を飲み、程なく肩に麻酔の注射を打たれた
これが痛かった
右肩にダーツのようにぶすっと挿し、その挿した手で持ち替えてぐいっと引き上げ、ぐぐぐっと、奥に挿しこんでから中身を注入していく
前の麻酔はのどに効いているので、ここには効かないのは当然だが悲しくなるほど痛かった
おまけに抜くときも痛い
それなのに、そこをよーくもめ、という
まるで、今は亡き”さぶ”の拷問漫画の世界さながらだった
そして、メインのカメラを呑んでの検査が始まった…、となればイイのだが、これ以上書くと、”痛い検査自慢”になってしまうのでやめておこう
検査も終わり涙目のよだれまみれに加え、横たわっていた視界一面、の海になっていた
後からその病院関係者に聞いたところ、そのときの私を担当した医師は病院一の胃カメラが下手な人だったようで、自分では入れられないからと別の医師に変って入れてもらったという
あのときの血液、どうしたんだろう、と思ってしまう
手袋していた人って、いなかったみたいだし…
結局、この検査でもカンジダと胃潰瘍状のコロニーが見つかっただけで、熱と咳の原因はわからなかった
そして、この日から5日後、2000年10月6日は、HIV 抗体検査をして、”陽性”になった日、もうひとつの私の誕生日でもある
この”誕生日”というのは、もうひとりの自分との出会いでもあり、それまでとは別の新しい人生の始まりの日でもあることから、そう呼ぶようになった
誕生日と呼ぶことで、どこか区切りがついた感じもあるし、常に自分は病気と一緒なのだという自覚も持つようになっている

2000年10月9日、見舞いの人で騒然としていた私の身辺がやっと落ち着き、夜の検温の時間、とても印象に残っている出来事があった
その日の担当は少し冷たい感じのするやや苦手としていた看護師だった
熱もある程度上がりきり、あとは下げるだけだったので
「熱、39.5、相変わらず」などと連れなくあしらっていた
けれど、彼女はそんなことお構いなしで手首を握って脈をとり、夕飯はどれくらい食べたか、体調は、などと聞きメモをする
一通り終わり、いつも通りなにも言わず行ってしまうのかと思っていたが、私の右手を持ち上げ両手で、きゅっと、握り締めた
お、と思うや否や、彼女は始めて私の目を見て続けた
「明日、私は非番だから、今日が会えるの最後なの、あっちの病院に行ってもがんばってね、絶対良くなるからっ」
そう言い、握った手をそっと私のかたわらにおいて、部屋をあとにしたのだ
この病棟の看護師でも検査後、陽性だとわかってから挨拶もしなくなった人が数多くいた
彼女もそれのひとりかと思っていた

数少ない記憶の中でこのことは色あせず、今もって私を支えてくれている大切な思い出になっている

2000年10月10日、本格的な治療のため転院をすることになった
なぜかこの日は体調が良く、身支度などの一仕事もして着替えなどもし、移動の為のストレッチャーを待っていた
テレビをつけてヒマをつぶしていたが、どうもそわそわして腰が落ち着かず心ここにあらずだった
すると、熱が出ていたのと朝の一仕事で汗をかき、しばらく洗っていなかった頭がかゆくなってしまった
ジクジクするようでたまらない
そんなとき、準夜勤の彼女から交代した日勤の看護師がやってきた
もぞもぞとしている私を見て「どうしたの?」と、きいてくる
その言葉がはずみになって、頭がかゆいというと「待って、今洗ってあげる!」
ストレッチャーが来るまで残り10分、脱兎のごとくその彼女は片手に水のいらないシャンプーを持って部屋に戻ってきた
それからは、ごしごしごしごしと、もみ洗いかきこすりで即席洗髪を終わらせた
見事にさっぱりとした
ふと、彼女の手を見ると、私の抜けた髪の毛でいっぱいになっていた
「ああ、良かったー、ずっと洗ってあげたかったの、でも、なかなか担当がまわって来なくてね、遅くなってゴメンネ」
私は、どうもありがとう、というとなにも言えなくなってしまった
ストレッチャーが到着し、乗ろうとしたが足があがらず、台を下げてもらってやっと横になることができた
梱包した荷物を抱え、それまでいた4人部屋をあとにする
同室の人達は数日前からほとんど口をきかず、別れの挨拶も無かった
ろうかから各部屋の前を通りながらエレベーターまでゆっくりと進んだ
ふっと気がつとく、私の後ろには金魚のフンのように病棟の看護師が大勢ついてきていた
「がんばれーっ」
「忘れ物はない?」
「良くなったら、また遊びに来てねーッ!!」
それまでとはちがう、どこかあたたかい感じがした
挨拶もしてくれない、冷たい、つっけんどんな人達もニコニコと手を振ったり肩を撫でてくれたり、握手をして来たりして見送ってくれた
その中で、私の担当だった看護師が私について来ようとしたらしいが、仲間から止められていた、ということを後から父に聞かされた
エレベーターに乗りこみ、ドアが閉まるまでみんなで見送ってくれていた
1階までに行く箱の中で、搬送の係りの人が私に言った
「優しい人達ですね」
きのうまであたり障りのない、どこか冷たい感じがしていたあの人達
きっと、どう接したらイイのかわからなかったのだろう
治療経験のない、況してや、HIV に感染し、AIDS を発症している人間を目の当たりにしたことがないのなら、ああすることで精一杯の気遣いをしていてくれていたにちがいない
素直にそう思えたのは、これから行く新しい病院での生活にかなりの希望と自信を持っていたからなのかもしれない
 
10月の空はどんよりと曇っていた
空気も冷えて肌にひんやりとする
久しぶりのおもての空気を新鮮に感じながら搬送のための救急車に乗り、次の病院へと向かった

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